『大衆とともに』不変の原点


「9・13」立党精神継承して50年

1962年9月13日

公明党の前身である公明政治連盟の第1回全国大会が豊島公会堂で開かれ

党創立者である池田大作創価学会第3代会長(当時)が立党精神の淵源となる講演から

50年の佳節を迎えました。

席上、池田会長から

「団結第一」

「大衆と直結」

「たゆまざる自己研さん」の三つの指針が示されました。

この時の 「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいく」との大衆直結の精神は、2年後の1964年11月17日の公明党結成に際し、

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」に集約されました。

当時の政治は

「大衆の声」を軽視しており、自民党は政・官・業による「鉄の三角形」の下、業界団体の強い支えがあり

社会党は「総評・社会党ブロック」と呼ばれる固い組織労働者の支持基盤を誇っていました。

「大衆とともに」を胸に刻んだ公明党の躍進で

利益団体重視の政治やイデオロギー優先の政治は打破されていき、市民相談に代表される住民との対話から

義務教育の教科書無料化、乳幼児医療費の無料化や児童手当など数々の政策が生まれ、公明党は党員、地方議員、国会議員のネットワークを拡充し 「福祉の党」 としての地位を不動にしました。

今現在、業界団体や労働組合の影響力は後退しました。

政党は、無党派に訴えて支持を得ることが不可欠になってきました。

政党、政治家の多くは、マスコミなどが伝える時々の声を追うことに精一杯の状況ではないのでしょうか??

住民との一対一の対話や議論の場を持たないまま、選挙最優先で右往左往する姿が、さらに有権者の政治不信を加速させているのではないかと推測します。

私たち、公明党の不変の原点である

「大衆とともに」 こそ、この国の混迷を打ち破る政治原理であり、日本再建に挑む公明党の役割と責任は重大であると

強く実感しております。